History Of The Great Dane グレートデンの歴史
中世のハウンド系の犬達を狩猟場面の絵において多く見ることができます。中央ヨーロッパの森林地帯には猪が群れを成して棲息しており、王侯貴族たちの狩猟では、熊や狼とともに猪も獲物にされているのが常でした。狩人たちは気品漂う馬にまたがり、狩りを先導したのは個人や宮廷所有するハウンド達でした。また、近隣の村の人々のほとんどが、獲物の駆り立て役として狩に参加するよう義務付けられていました。当時のハウンドに求められたのは勇気、力、敏捷性、それに忍耐力であり、これらの能力を備えた犬はとても高価でした。この事実は7世紀の『ドイツ法』で知ることができます。当時ボアーハウンズともブルドッグとも呼ばれていたこれら猟犬の窃盗に対して、とても思い罰が科せられていた記録等も残っています。また、12、14世紀にはフランスとスペインの作家によりボアーハウンズの詳しい描写が書物にも登場してきます。
ヨーロッパ大陸にいたボアーハウンズは、英国より輸入された無数のイングリッシュ・ハウンズと掛け合わされたことが明らかになっています。イングリッシュ・ハウンズは足が長く15世紀初頭から16世紀にかけて宮廷で繁殖されたもので、その起源はマスチーフとアイリッシュ・ウルフハンズとをクロスさせたものだといわれています。かなりの数のボアーハウンズが一緒になり猪の群れに攻撃を加え、群れを分散させて狩猟場からは隠れていた狩人たちのほうへ追い立てて行きます。最強の犬の数頭が猪との直接対決のために選別されており、頃合いを見計らって綱を解かれ脱兎のごとく猪に襲いかかります。犬たちが猪にしっかりと噛み付き押さえ込んだところを、狩人が歩いて近づくか馬上から猪専用の槍でしとめるのです。
若犬の訓練は力の衰えた老犬の群れの中で生活することから始まります。老犬たちからは、傷ついた若い熊の耳に噛み付き捕まえることを教わるのでした。暫くしてから若犬たちは強く荒々しい猪に立ち向かうことになるのですが、最初は防具をつけていました。それは、毛、絹、麻の綾織の生地を獣毛、布切れや魚の骨で覆った鎧でした。武器蒐集のスペインのマドリッドの博物館ではこれらの甲冑類を見ることができます。
ドイツの森林のあちこちで行われた狩猟の記録を見ると、これらボアーハウンズがいかに高い能力を備えていたかがわかります。1538年に若い貴族が、1匹のハウンズに15フローリンも払ったというのも不思議ではありません。(概算で75,000円、今から470年近く前の価格です!!!) ヘッセンのアール・フィリップ侯爵が、1556年の11月30日までに726頭の猪を買ったという記録もあります。ボアーハウンズの高い能力があってこそ可能な記録といえるでしょう。1559年に、彼はヴュルテンベルグのクリストファー侯爵にこう書いています。『今年の狩猟シーズンは我が自家繁殖のハウンズのおかげでとても楽しく過ごせました。おかげで1120頭の猪を捕獲したのです。』1563年にはフィリップ侯爵の猪の狩猟数は最高に達しました。彼と彼の犬たちは、なんと2572頭も捕ったのです。一番多くのボアーハウンズを持っていたのは、ブラウンシュヴァイクのヘンリー侯爵であるとの記録が残っています。彼は1592年オーベルヴェッサーの狩場に600頭の雄のハウンズをつれて登場します。全ての貴族の宮廷には、ボアーハウンズ専用の特別犬舎がそろっていたのでした。
大掛かりな狩の場合、貴族たちが所有する以上の犬が必要でした。羊飼い達も自分の犬以外に、支配者の要請に応えるべく猪狩用に強い雄犬も余分に飼育しておく必要がありました。そうしておかないと羊の群れを没収されてしまうのでした。狩猟シーズンになると、科学者でもあったモリッツ侯爵は狩猟係りの部下を国中に指し向けました。この部下には犬を飼っている羊飼い、肉屋、その他諸々の人々から犬を徴集する権限が与えられていました。もし要請どおりではなく、小さく能力のない駄犬が提供されることがあれば提供者には5頭の羊没収という罰則が適用されたのです。羊飼いやその他犬の飼い主に科せられたこれら義務の実例は15世紀にまで辿れます。宮廷の犬全てか一部を粉屋に預けて給餌させることが、17世紀には当たり前のことになります。肉屋と同様粉屋も支配者に提供するためにある程度の数の犬を飼う義務を負っていました。宮廷の武官達にも同じ義務が科せられていました。
17,18世紀になるとドイツでは自家繁殖の犬たちが増えて使われるようになり英国からの犬の輸入が途絶えます。この頃は、若い猪には軽量なハウンズを2頭ぐらい使うのが必要と考えられていました。2歳の猪には3,4頭、3歳には4~6頭といった具合です。さらに時を遡ると絵画に描かれた狩猟場面にはもっと多くの犬が使われているのが見られます。描写されている犬のコートは荒い毛に覆われているのが常でしたが、体型や時には頭部外郭が今日のドイチュ・ドッゲン(グレートデン)に類似しているものも含まれています。
画家のシュナイダーズは猪を襲う軽量と重厚タイプといった2種の犬を描いています。ヨーロッパの貴族達は特に重量がある良い犬を所有することを互いに競い合っていたので、物語や絵画に頻繁に登場したように、この太く逞しいハウンズ系の犬種はヨーロッパ全土に広まっていきます。例えばマンチュアの侯爵のために描いたヴァン・ダイクと弟子のカスティリオーネ・ジョバンニ・ベネディートによる絵も有名です。他にもガストン・フィーブスの作品もあげることもできます。彼の絵はこれらの犬が当時フランスでは”Allant Gentil”(アラン・ジェンティーュ、優しき覇気)として知られていたことも示しています。
ヴィリアム8世統治下のヘッセン‐カッセルでは非常に多くの野生の猪が見られました。しかし、時の経過とともに徐々に少なくなっていきす。其の理由の一つ1784,85年の極寒の冬があげられます。数多くの猪が死にました。ヴィリアム9世は、当時流行し始めていた遊び半分での火器(鉄砲類)による狩猟で仕留めずに傷を負わせだけのものや、鉄砲による狩猟に厳しい規制を設けました。鉄砲による乱獲で猪が減少していくのに伴い、当然のこととしてボアーハウンズの必要性も減少し数も徐々に減っていきます。最初のころは宮廷で少ないながら飼われていましたが、徐々に限られた個人が所有するようになっていきます。しまいにはとうとう、シュツットガルトやハルツ近郊の人里離れた地域にまとめて飼われるようになりました。これらのハウンズは巻き尾で激しい気性、荒い体毛を持ちあまり洗練された体型ではなかったといわれています。クルシュジッシェン・イェイガーホッフのいわゆる狩猟マスターと呼ばれた人たちの残した記録から、最後のボアーハウンズの詳細が分かります。これらのハウンズは力強く、狐色、赤みを帯びた狐色およびブリンドルでブラックマスクを持ち、中にはとても背の高いのもいたようです。1876年になると最後のハウンズも売られ、厳密な意味でのこれらハウンズほとんど消滅していったと考えられます。
しかしながら、これらハウンズ後継者がドイツ人によって改良が続けられてきた今日のドイッチュ・ドッゲン (グレートデン)なのです。私たちは今日のドイッチュ・ドッゲン(グレートデン)の祖先としての任務を果たしてきたこれらハウンズに深く感謝すべきでしょう。今日のドイッチュ・ドッゲン、すなわち完璧な体型バランスや気品あふれる誇り高さなどが構成する美しくも優雅な他とは違う『犬』のことです。(第二章完)

